カフェ オーストリア ドイツ

オーストリア・ウィーンのカフェ

オーストリア・ウィーンのカフェの歴史は、有名なコルシツキーのエピソードで幕を開けます。1683年、オスマン・トルコによる第二次ウィーン攻囲の際、何度かトルコを旅してトルコ語に堪能だったセビリア人コルシツキーは、ウィーン市内からトルコ軍陣地を通ってドイツ・ポーランドの連合軍に重要な情報を伝える伝令として活躍しました。ウィーン解放後、その勲功によってトルコ軍が残したコーヒーの生豆と市内に家屋が与えられ、その市内のドームガッセに「青い瓶(ブラウエン・フラッツェ)」というカフェハウスそ開業し、大成功をおさめました。

コルシツキーの成功に倣って、相次いでカフェが開店し、18世紀前半にはすでにウィーンの市民生活にかなり浸透していました。当時のウィーンのカフェハウスはどこでも新聞を置いて自由に閲覧させて、多くはビリヤードを備えていました。飲み物はコーヒーのほかのソフト・ドリンク、リキュール類とアイスクリームですが、名物のクロワッサンも既に定番になっていました。

18世紀半ばを過ぎると、マリア・テレジアの窮屈な政治体制の下で、市民の「日常の厄介事からの逃避所」になっていきました。18世紀末からのナポレオンの占領時代、一時カフェハウスは低迷してしまいましたが、続くダービーマイヤー時代(1815〜48年)に再び隆盛を迎えました。カフェハウスは演奏会などのアトラクションも取り入れ、メッテルニヒの反動体制に抑圧されて政治から逃れ、小市民的な安逸に閉じこもろうとした人々をひきつけていきました。そこで流行したワルツは音楽の都ウィーンの象徴となりました。カフェハウスは、「朝も昼も夜も、ウィーンでは人々はコーヒーを飲むこと以上の楽しみを知らない」と揶揄されるほど、ウィーンの市民生活の中心的存在になったのです。


ドイツ諸都市のカフェ

カフェがヨーロッパに入った17世紀後半のドイツは、未だに30年戦争の後遺症に苦しみ、小国に分裂していた上、カフェの土壌となる市民社会の形成も遅れていました。こうした状況下でも、17世紀の終わりごろから次第に大都市にカフェができ始めます。

ドイツのカフェの事情はそれぞれの都市で異なるものの、18世紀中はパリ・ウィーンのような目覚ましい成功を収めることはできませんでした。他のヨーロッパ諸国ではコーヒーは主に男性の飲み物でしたが、ドイツではまず女性たちがコーヒーに熱をあげ、家庭で女性たちが午後のコーヒーを楽しむ集い「コーヒー・クレンツヒェン」がカフェを圧倒してしまったのです。

カフェの社会への浸透は遅れましたが、18世紀には徐々に市民生活に入り込んでいきました。これに対し、プロイセンのフリードリッヒ大王の布告など、輸入贅沢品であるコーヒーへの政府の圧力は、ドイツ連邦がもっとも強かったのです。このため18世紀後半には代用コーヒーとしてチコリが奨励されて一般化し、しばらくの間は、本物のコーヒーは貴族階級ばかりで、市民はチコリなどの代用コーヒーに甘んじる状況が続きました。

ドイツのカフェ文化が花開くのは、ドイツ統一が終わり、ベルリンが国際都市となる19世紀末からで、特に表現主義者の活躍したカフェが名高いです。

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